2023 突然の一時帰国③
その日の晩、私は家族に怒りを伝えた。
I先生がやばいということは知っていた。だけど、知識以上だったし、あれは改善しない。無理だ。何より、目の前の患者をみていない。数値しか見ていない。(厳密にいうと、数値すらちゃんと見ているか怪しい。)こちらが会話の主導権を握らないと、話が進まないのはおかしい。診察以前に、コミュニケーション自体が成立していない。
この病院自体が悪いんじゃない。他の科のO先生は、こちらが1質問すると、2答えてくれる。先生以外も、売店のスタッフも、カフェのスタッフも感じが良く、一人一人を見て、サービスしている。
だから、I先生には会うな。運気が下がるから(?)。これから会うのは、私が絶対許さない。会ったら罰金(500€)だ!
私が暴走機関車のごとく怒りを表明し、気持ちを代弁したことで、家族が何カ月も抱えていた緊張・ストレスが少しだけ緩和されたみたいだった。表情も、少しだけ柔らかくなったのが分かる。どうして家族がもっと怒らなかったのか、最初は疑問に思ったけど、家族はI先生に怒りを覚えつつも、それを表明したり、別の決断をする気力も体力も残っていなかったことにようやく気が付いた。
それでも怒りが収まらず、翌日親族に話したところ、親族の友人Rちゃんが以前病院で嫌な対応をされたことがあった時、話を聞いた親族が「Rの親族ですけど」といって、病院に怒りの電話を掛けたという話を聞いた。ちなみに親族は小説家で語彙が豊富なので、その親族に怒りの電話をされたら、私も正直ちょっと(かなり)怖いな、と思った。(それを素直に伝えたら、爆笑していた。)I先生に対しては、私が怒りが収まらないけれど、優先すべきは治療だから、今は別に何もしない。けれど、治療がちょっと落ち着いたら怒りの表明手段・表明内容を練る予定。ほら、愛の不時着の主人公だって、感謝と復讐はたっぷりと、って言ってたし。いや、人格を否定したいとか、そういうことではなく、これまでの時間がいかに無駄で、家族を更に絶望の淵に追いやったという事実が許せないだけ。それを伝えないと気持ちが収まらないだけ。手紙は廃棄される可能性があるから、今年どこかでI先生に電話をするつもりでいる。
改めて、衝撃的かつ怒涛の一週間だった。体力がある私でも、最初3日間は時差ぼけで睡眠時間が確保できず、さらに朝から予定が立て込んで大変だったけど、正直自分の趣味の多さに救われた。ちょっとした隙間時間にバレエのポーズを取ったり、YouTubeでKPOPダンスを練習したり、寝る前にイタリア語通訳が書いたエッセイを読んだり。自分の知らない国の文化は、現実を忘れるのにうってつけで、何より面白かった(そして、家族にプレゼントしたから今は実家にある。)。どこでもできる趣味は、ふとした時に気分転換できる。趣味の充実は、もしかしたら良質な睡眠の次に健康に良いのかもしれない。
今回良かったことは、オキシトシンが分泌されますように、と祈りながら、ほぼ毎日家族にマッサージをしてあげられたこと。家族は、足裏、足首、ふくらはぎ、太もも、腰、背中、肩、脇の下、二の腕、手首、手のひら、指先、頭皮、おでこ、目の周り、と全て凝っていた。こんな体で生活するなんて、とマッサージしている私が泣きそうになるくらい固かった。ささやかな気分転換になれば、とマッサージオイルのサンプルもいくつか持っていって使ったのは良かった。このゆずのオイルは、2月に行ったメッセでスペインの企業からもらったやつだよ、と説明したりして。
他には、ドイツから赤ビーツを持ってきて、スープを作った。私がドイツで考案した甘い味噌のスープ。日本ではビーツを食べる機会はそんなに多くは無いから、プチ非日常を味わって喜んでもらえたのは嬉しかった。
ドイツに帰る日、羽田空港のモスカフェで食事をとった。ハンバーガーを食べながらふと見渡すと、空港には様々な人種の乗客がいることに気が付いた。診察予定がびっしり詰まった実家とは、別世界だ。私は根がロマンチストで、高校生くらいから「世界を見る」とか「視野を広く持つ」というコンセプトの言葉に惹かれることは自覚していた。だけど、それはそれができる時間的、精神的余裕があることが最低条件であることを知った。そして、こうして世界を見る暇もなく、一日が過ぎる生活が存在することも。
次の一時帰国は来月。マッサージして、一緒にピクニックして、美味しいものをたくさん用意して、家族を甘やかして・・・体がほぐれて、晴れやかな気持ちになる、そんな時間をつくれますように!
