• 長崎旅2025 ②

    あれ?今どこにいるんだろう、と思いながら目をこする。旅行中、目が覚めて一瞬自分がどこにいるか分からなる感覚が好き。昔、そう誰かが言ってたのを思い出した。 そうだった。今、私達は長崎市のホテルにいる。日の出が東京よりも遅くて、確かに南にいるんだと実感。横で寝ている娘は、長崎に到着してから特によく寝ていた。ドイツから日本までも長旅だったけど、東京から長崎もまた長かった。私たち大人にとっても旅は興奮する。だから、赤ちゃんにとっては尚更だ。その変わり続ける風景を不思議そうに見ていた娘の眼には、一体どんな風に映っていたんだろう。 長崎市では、大学生の時に知り合ったKちゃんと待ち合わせをした。お互い社会人生活が始まって数年経ち、会社の話をするようになったのが最後に会った7年前。それだけでも感慨深かったけれど、出島ワーフで再会した私は母親に、Kちゃんは一か月後に出産を控える妊婦になっていた。住む場所も変わり、ライフステージも変わっていっても、10代、20代、30代と再会出来るということが何よりも嬉しかった。初めてKちゃんから長崎出身と聞いた時に「行ってみたい」と思ったけど、未来の娘と一緒に会う事が叶うだなんて、過去の自分が聞いたら喜ぶはずだろうなあ・・・! 食事が終わり、一緒に訪れたのは出島。観光パンフレットで読んで以来、いつか一度来てみたいと思っていた場所だった。日本史では長崎は貿易の場所として習うけど、「砂糖を保管する一番蔵」「銅を計量する組頭(くみがしら)」という建物の説明を聞いて、当時の貿易の解像度がぐっと上がっていった。そして出島内にある旧長崎内外クラブというカフェでミルクセーキを注文した私達。当時の外国人と日本人が交流を深めた歴史的な建物で、また長崎のローカルフードを味わう。それはそれは贅沢な時間だった(一度は完全に姿を消した出島を、復元してくれてありがとうございます、という気分)。 生まれて初めて訪れた長崎は、県全体が穏やかな空気に包まれているような場所だった。聞こえてくる方言も、どこか標準語よりも優しくて暖かい。ちなみにKちゃんは、私と話す時は標準語で、旦那さんとは方言で話している(そして方言だけで話すKちゃんを初めて見た)。長崎の方言、と一口に言っても、Kちゃんは島原市出身で、長崎市で育った旦那さんはKちゃんの父と会話する時に分からない言葉があるとか。ということは、長崎本当の中部も北部も、離島もまた方言の世界が広がってるんだろう。対馬なんて大きいから、方言も複数あるのかもしれない。ちなみに出島ワーフのレストランでKちゃんの上記の話をパートナーにしたら、僕も方言で育ったなあ、と言ってて、え?私だけ標準語?と気が付き、地元の人しか分からない方言が話せる人がちょっと羨ましくなった。 長崎に来る前、NEXTWEEKENDというメディアで観光名所を調べていた。その時に見つけた「わざわざカメラを持って出かけたい」という言葉を、現地についてすぐに思い出した。この事だったんだ。地理的に坂が多く、ちょっと上ると「山や海(正確には湾)も必然的に視界に入る。だから、常に「絵になる」風景やカメラに収めたくなる瞬間に溢れてる。 私達が訪れたのは9月の上旬だった。酷暑のピークは過ぎたけど、「歩くだけで、体力が奪われる」暑さで、旅行中はずっとショートパンツを履き、タンクトップを着ていた(ふと見たら自分がルフィみたいという衝撃)。一歳の子どもを連れたレストランの食事も、その後の出島訪問も、間違いなく「肉体労働」で、食事中に娘がぐずった時は、もうすぐ親になるKちゃんと旦那さんに「お二方の近未来です」と思わず伝えてしまった。原爆ドームや、他の場所も行きたかったけれど、12キロの娘を抱えての移動はなかなか大変だったから、未来の旅程に入れようと決めている。 それでも、地理的にも心理的にも少し遠い場所だった九州が、この旅で「近い場所」になった。また会いたいと思ってる友人に会えた。それが、今回の旅の素晴らしい収穫だった。日本で一番島が多い県、長崎。伊能忠敬先生も、さぞかし計量時は情報まとめに苦労したことでしょう。次は、日本に来たいと思ってくれている義妹の家族と長崎を再訪して、ゆっくり時間を過ごしたい。その時も、飛行機の窓から長崎が見えたら感動してしまうのだろう。海の綺麗さに、そして小学生の時に社会科の便覧で見て驚いた、あの島の数々が目の前に広がっていることに。 おまけ◆長崎市では、ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルにお世話になりました。途中、あまりにも暑くて近所の八百屋で梨を購入した時、果物ナイフが無いことに気が付きフロントで相談。すぐに、綺麗にカットして部屋まで持ってきてくれました。その心遣いがとっても嬉しかったので記録。また、朝ごはんに長崎のメニューが多く、地元の食材やレシピを楽しめました。

  • 長崎旅2025 ①

    「日本出身なんだって?僕はポルトガル出身だから、次に日本に行く時は長崎に行ってみたいんだ。ポルトガルとゆかりがある場所って聞いたからね。」  2023年の秋、私は初めてパートナーの妹に会った。その時一緒に挨拶したのが、ポルトガル出身の彼女の旦那さん。ポルトガルで生まれて10歳からドイツに住んでいる彼は、コロナ前に一度日本を旅行したがあるそうだ。そして、パートナーの妹家族に挨拶ということで、ドキドキしながら向かったカフェで、まさか「ナガサキ」という音を聞くとは。人生、どこにどんな出会いがあるか分からない。 その日の帰り道、思い出したのが大学で知り合ったKちゃんだった。私が人生で初めて出会った長崎出身の人だ。彼女とはドイツに来る前に東京で会ったのが最後で、この数年は連絡が途絶えていた。今、どこで何をしてるんだろう。だけど時代はSNS全盛期。そう思った半年後、そのKちゃんがなんと私のインスタグラムをフォローしていることが判明し、数年ぶりに連絡を取ることができた。Kちゃんは大学卒業後は東京で働いて、また長崎に戻っていた。 その後、私とパートナーは少しずつ日本の一時帰国の旅程を組み始めた。情報収集をする中、久しぶりにKちゃんに会いたい、海水浴をしたい、離島に行きたい、知らない文化に触れてみたい – 長崎に行きたい理由が次々に出てきた。ということで、パートナーと私と娘の今年の旅行は、長崎から始めることに決めた。 待ちに待った出発日。飛行機の窓から見える長崎の海は、とんでもなく綺麗だった。透明度が高くて、私たちの飛行機が海面に映っている。到着すると、南国特有の(まあ東京も今は南国みたいだけど)空気が肌で感じられた。長崎空港からまずはバスに乗り、次に路面電車を使ってホテルまで移動する。路面電車は、長崎では「電停」と言うことを知ったのはこの日だった。 教会や西洋風の建物、中華街、そしてレトロな建物。長崎と言えば、日本史で習う「文化の入り口」、色々な文化が混じり合う場所。そして地理的に坂が多い県。市内を歩いていると、今まで聞いていたキーワードを、歩きながら実感した。まるで、頭の中だけに存在していた知識が突然目の前に現れたかのようだった。 耳をすませると、方言が聞こえてきた。電停の停留所の近くでは、長崎県警の「渡らんで 危なかよ」との文字。長崎の方言は、何だか暖かくて柔らかい感じがする。そういえば、大学生の時に一度Kちゃんに方言を教えてもらった時に、何だか愛らしいなあと思ったことも思い出した。(無いよ、が「なかとよ」になるらしい。) 今回、せっかく長崎に来るなら、ということでKちゃんのに教えてもらったレストランは、吉宗(よっそう)。彼女の旦那様の名前で予約したので、私達は生まれて初めて発音する苗字をスタッフに伝えて入店した。パートナーに、日本っぽいものを味わってもらいたいと思って来たけれど、ここを選んでよかった。外装だけじゃなくて、階段、お座敷、窓も、食事が運ばれてくる前から、店の雰囲気も味わえる。もちろん、注文した茶碗蒸しセットもバッテラも大変美味しくいただきました。150年もの伝統があることも素晴らしい。だけど、地元のお客さんもたくさん入る、愛されているお店であることが印象的だった。オンラインで注文できる時代だけど、きっとこの場所で食べるのが一番美味しい。 グラバー園は、素敵な場所だった。西洋風と和風の建物も、敷地も、ただ歩いているだけで楽しい。ここで当時暮らした人はどんな思いで長崎にいたのかな、と思いを馳せてみる。ちなみに、訪問した時はちょうど近くの芸術大学の展示があって、園では色とりどりのアートが花を咲かせていた。 近くに山と海があるのが当たり前の長崎。グラバー園は丘の上に建てられているから、山も海も見渡せる。そして、その敷地では特に良い空気が循環しているようだった。「氣が良い場所」って、きっとこういう場所のことを指す。見晴らしが良い、と言えばそれまでだけど、風水は全く分からない私が初めてそう感じたのがこの場所だった。

  • インタビュー

    翻訳者のつぶやき①

    ~日本語上級者から見た日本語の世界~韓日翻訳を手掛けるSさんにインタビュー Sさんプロフィール : 1989 年韓国・ソウル市出身。テグ(大邱)育ち。大邱カトリック大学院日本語日本文学学科卒業。 現在、どんな仕事をされているのでしょうか。 韓国生まれのスマホ向けの縦漫画「ウェブトゥーン」を日本のプラットフォームに納品するための、「ローカライズ(現地化)」を行う会社に勤めています。担当は、母国語である韓国語から日本語への翻訳。漫画の種類も、恋愛、ファンタジー、スポーツ、と幅広く、常に8作品から9作品を同時進行で手掛けています。フリーランスでは、日本語の通訳や翻訳の仕事も大学院の時からやっていました。 日本語に興味を持ったきっかけについて教えてください。 7 歳くらいから、NHKチャンネルが韓国で放送されるようになり、カードキャプターさくらのオリジナル版(韓国語字幕無し)を偶然一瞬見たんです。その絵の綺麗さと細部に惹かれたのが、きっかけでした。それ以降は、犬夜叉、名探偵コナン、エヴァンゲリオン、ナルトといった少年漫画もアニメと漫画で見るように。同時に、J-popにも興味を持ち、X-Japan、浜崎あゆみ、椎名林檎などを聞くようになりました。 アニメを、韓国語の吹き替えや字幕つきで見始めたのが中学からでした。本格的にストーリーを理解しながら楽しみ、特に一人一人のキャラクターがどんなセリフを言っているのか、耳を澄ませて鑑賞していました。その頃、中学で第二外国語が始まり、迷わず日本語を選択(中国語か日本語の選択でした)。中1から週1回ペースで授業を開始したので、中学卒業までには、ひらがなとカタカナは完全にマスターし、簡単な文法もやりました。更に自発的に勉強を始めたのもこの時期です。また、当時仲良くしてた子が日本語が上手だった、ということにも少なからず影響を受けていました。 高校も公立だったのですが、第二外国語で日本語の授業を3年間受けました。ひらがなから学ぶクラスだったので、もちろん楽勝です。次第に、もっと勉強したいという気持ちが強くなり、高1の時に日本語能力試験の受験を決意。早朝から授業をしている日本語教室を探して、個人的に2、3か月通うようになりました。一回の授業が50分で、先生は韓国人でした。当時の高校は、8時20分までに到着しなくてはならなかったのですが、その日本語の授業の開始時間はその前。月曜日から金曜日まで、母が日本語教室まで毎朝車で送ってくれ、授業の間はずっと駐車場で待っててくれたんです。今でも言われますね。今、日本語で仕事ができるのは自分のおかげだ、と(笑)。日本語は、最初は独学でやろうと思いましたが、「させられる」といった使役動詞や食べる、調べる、する、来る、などの動詞の活用変化など、韓国語とは異なる文法の箇所は説明が必要と感じ、きちんと専門家に教えてもらいたかった。だから日本語教室に通ったことは大正解でした。 生まれて初めて日本に来たのは、高1の時でした。5日間の東京旅行で、初めての海外、かつ家族のために人生初の通訳デビューをしましたね。大学は、大邱カトリック大学の日本語日本文学学科に進学。途中、上智大学に半年間交換留学しました。留学は一年間の予定だったのですが、途中で東日本大震災が起き、急遽帰国せざるを得なかったことが本当に残念で・・・。 最初から現在に至るまで日本語はどうやって勉強しましたか。 中学から大学院に至るまで毎週授業はありましたが、大学の授業以外で、日本語に触れる時間をとにかく増やすことを心掛けました。いっぱい聞いて、聞いて、生活に取り入れて。それ以降は大好きな趣味(漫画)を楽しみながら学ぶイメージです。知ってるけど、すぐに思い出せない表現はスマホでメモ。いわゆる日本語の試験で高得点を取るための、試験対策のような勉強は、大変だったけど、勉強自体には後悔はありません。また、家では常に日本語のアニメやドラマをBGMとして流してました。 日本語の漢字は、大学生の時に集中して覚えました。韓国の学校では、中学と高校の漢文でしか漢字を習わない上、地域によって学習カリキュラムも異なるんです。自分よりも若い世代は、漢字そのものを習っていない人も多いかもしれません。性格面では、オタク気質であることも、功を奏したと思ってます。元々調べるのが苦にならず、むしろ調べないと常に不安を感じてしまうタイプ。その意味では、あまり「勉強」の苦労を苦労とも思ってすらいませんでした。ちなみに、自信の持てない表現は、ヤ〇ー知恵袋などでも調べるのですが、日本人でも同じ質問をしてる人がいて、共感することも多々あります(笑)。ここでは、日本語の些細な表現についてもたくさんの質問が寄せられていて、仕事をする上で大変貴重な存在です。 韓国語を母国語として日本語を学ぶ過程で、気が付いたことはありますか。 韓国国内では、日本に対して同じ漢字文化圏、という一般的なイメージはある気がします。例えば「無理」という単語は、両国で発音も意味も全く同じ。どうしてこんなに似てるんだろうと不思議に思う一方で、やはり日本語はイントネーションが韓国語と異なる言語だとも感じます。韓国語は、ソウルの標準語よりも、南部のテグ(大邱)とかプサン(釜山)などの方言の方が、抑揚がはっきりしていて、イントネーションが豊富なんです。だからこれは個人的な肌感覚ですけど、地方の方言を普段使ってる人の方が日本語が上手く聞こえるような気がしますね。 言語学的には韓国語は日本語から一番近い外国語ですが、どんな点で差異を感じますか?また、漫画の翻訳ならではの難しさは? まず、どんな単語や言い回しでも、二つの言語において完全に同じ概念になることはないのですよね。例えば、花とか空といった名詞は韓国語でも日本語でも比較的同じイメージで使われます。ですが、一つ一つの動詞や形容詞となると意味する範囲やが変わることが多いと気が付きました。日本でも流行った「愛の不時着」も、舞台が韓国の話として翻訳するのかによって選ぶ言葉が変わっていくなと思いました。例えば、日本では子どもも親に対して敬語を使わないのが普通。それを考えると、一般的な日本人なら言わなさそうなセリフもドラマの中に多いな、と。 今の仕事は、母国語である韓国語からの和訳です。実際の作業では、漫画内のセリフだけではなく、キャラの表情や口の形も見ながら、翻訳していきます。その後、脳内でキャラクターが翻訳されたセリフを言う場面を想像し、自然かどうかを判断。だから、一つのセリフを翻訳するのに20分くらいかかることもあります。時には原作そのものに、文脈に合わないセリフや、不自然に聞こえるセリフが見つかることも。そのセリフ自体を変えなきゃいけないときが一番辛いです。 翻訳して日々感じることは、韓国語と比較して、日本語の方が、語尾の多彩さ、そして男女の喋り方の違いが目立つということ。 やめろやめるんだやめてなど、同じメッセージでも語尾でニュアンスがぐっと変わります。話者の気持ちが大きく反映されるのですよね。韓国語では、状況によっては、おとなしい女の子でも、やくざでも全く同じセリフをいうこともあります。だけど、語尾の豊かな日本語ではありえない。 私自身は、大学院の修士論文で「なのだ」「〇〇だ」といった日本語の文末表現の意味の違いやニュアンスをテーマに研究したのですが、実に奥深い世界でした。助教授から「これをテーマに書くの?よく選んだね」と言われたほどです。そしてそれは、それは今の仕事でも活かされていて、研究したからこそ、敏感になっているのだとも感じています。 また、日本語は一人称が豊かな言語。登場人物の一人一人の特性を生かして、どの日本語の一人称がぴったりか、と考えて訳していくのですが、女性でも「俺」とか「僕」を使うこともあり、決して簡単ではありません。また、相手との関係性も考慮することも重要です。見方を変えれば、翻訳者に裁量が与えられる部分でもあるし、翻訳者としてのセンスが問われる場面でもあります。だから新作を翻訳する場合は、そのキャラクター設定に時間がかかります。1話分だから、1時間でできる、という訳にはいかず、その前提となる情報を整理するのに時間が必要となるのです。作中に新しいキャラクターが登場した時も、言葉遣いを一から選ぶ必要も出てくるのですが、一瞬だけ出てくるキャラクターなのか、それとも伏線の回収として後に再度登場するのか、それによっても翻訳が変わってきます。10話分くらい進むと、ある程度の「人となり」が見えるから、分かるんです。でも、1、2話分だとそれが分からないから、登場人物全員の口調を初期段階で設定しなくてはなりません。 ※Sさんが、翻訳のためにしている「登場人物メモ」。以下の情報をまとめながら翻訳作業を行うそうです。 ・韓国語名・日本語名・画像・性別・年齢・1 人称(私、俺)・語尾(~です、~だ、~かしら)・設定及び特徴(出身地、勤務場所など)・他の登場人物に対しての呼び方 連載中の難しい点は、会社から渡されるデータが、1、2話分ずつしか来ないところです。しかも、話の最後に、重要なセリフが来ることがある(韓国ドラマも、毎回良い所で必ず終わりますが、それと同じです)!ので、作中の人物が今後どうなるのか分からない場合もあり、その場合は、直訳と意訳のどちらが良いのか悩みます。先の展開が読めないまま訳すのは可能な限り避けたい。その意味では、物語が完結していれば非常に気持ちが楽ですね。 忘れられないのは、別の翻訳者が担当していた漫画を、急遽引き継ぐことになった時のことです。会社から、明日から3話分翻訳して欲しいと指示されたのですが、その時点で翻訳はすでに100話を超えていました。スポーツ漫画と、時代物(朝鮮時代)だったので、漫画の内容と前の担当者の翻訳表現を確認すべく、軽くではありますが全て(約200話)目を通してから、翻訳を開始しました。オノマトペも簡単ではありません。辞書を引いても出てこない表現も無限にたくさんあるので、例えば、「倒れるスペース 漫画」 と検索して、適切な日本語を徹底して探し出します。または、ヤ〇ージャパンの知恵袋に知恵を借ります。罵り言葉も、基本的に韓国語は種類も多く、レベルも日本語と比較して各段に異なるので、和訳する際はどうしてもオブラートに包んで伝える形になってしまいます。罵り言葉なのに(笑)。なので、原語がかしこまった文体である場合の方が、翻訳自体はしやすいですね。法廷、医療現場で使われる単語などは、全部ではないものの、比較的同じ漢字語(かつ、同じ概念)が多いので。 一方で、漫画の翻訳は、物語なので前後のニュアンス、関係性を考慮して訳していかなくてはいけません。漫画の翻訳は映像よりも目に留まる秒数が長いので、読者が目にした時にセリフの印象が深くなりますし。漫画を読むのは子供の頃からずっと好きですが、つい仕事に結びつけて考えてしまいます。もちろん、日本の漫画とアニメを見てる時も、ちょっとした表現を常にメモ。今は韓国語字幕も必ずつけて、自分だったらこう訳すなあ、と考えながら見てしまう癖がついてしまいました・・・職業病です。 翻訳を監修する側の日本の会社と、普段やり取りを行っている中で気が付いたことがあれば教えてください。 現在勤務している韓国の会社が、まずウェブトゥーンの和訳を日本の制作会社に納品し、その制作会社がデータを監修して仕上げて行くというのが、基本的な流れです。そこで改めて驚いたのは、日本側の監修の細やかさ。「あいつ」ですら、作品によって平仮名と片仮名で分ける場合もありますし、他のオノマトペも、この作品には小さな「つ」を入れて、とか、小さな「あ」を入れて、と指示が入ることもあります。戦いの場面で、韓国語では、どれも“쿵”って書かれていても、日本語では状況や雰囲気によって「ドン」、「ガーン」、「ズン…」などにしてほしいと言われたことも。同じ「人間」が走る場面でも、少年が走る場合と、そうじゃない場合とでは、異なるオノマトペを使うことを提案されました。大雨が降っている時のオノマトペは「ザァァァァ」が「ザアァァァ」となり、「ビク」は「ビクッ」に修正要請がありました。 その細やかさを大事に思ってる人が、日本ではこんなにもこの出版業界に携わっているのだ、それが作品の質を底上げしているのだ、と感動しました。韓国語にもオノマトペはそれなりにありますが、日本人の人の方が全体的に大事にしているイメージですね。漫画自体が、文化としての位置付けが高いことも日々感じています。 これからの目標があったら教えてください。 今年に入り、仕事にAIを取り入れ始めました。現時点の印象は、便利ではあるけれど、全て任せるのは難しい、発展途上で限界が見えるな、という感じです。あまり詳しく言えないのですが、前職(エンタメ業界)では、イラストの部分もAIに任せて描かせてみたところ、思いのほか、一から作り上げる手間よりも修正する手間の方が多いことに気が付いて・・・。人間同士の会話のニュアンスが伝わらず、普通に間違えることもあるのですよね。漫画のコマの中の「手」も、AIが描くと、別の登場人物の手になってたり、ということもありました。 ただ、方言などの調べ物は役に立つなと思います。●●の文章を関西弁で言うと?と言うとすぐに出してくれて、助かる存在です。ですが、日本語への翻訳について、明らかにAIが出した答えが間違っているようだったので、指摘されたところ、「よく気が付いたね」と言われたことも(笑)。その意味で、ある程度の語学レベルに達して無い人が使うと、危ないかもしれません。ただ、使い方次第では、すごく良い相棒になれる可能性もあるのは事実です。 AIもどんどん発達している今、自分の仕事が奪われる恐れは常にあります。いつまで今の仕事を続けられるのか、生の人間でしかできない仕事は何なのか、と考え続けています。それでも、漫画は登場人物によって話し方が変わるものだし、私自身は、未来のことよりも今を生きるタイプ。ただシンプルに、もっと日本語の思考回路を持てるようにし、今の仕事の実力を高められたら、と思ってます。 ©2026 Kim Myeonghee

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    お人形のプレゼンテーション

    2023年の秋まで、毎月一回ライプチヒのバレエ教室に通っていた。一時間もかけて通っていた理由は、そこがウクライナ出身の先生が質の高い授業を提供してくれる教室だったから。そして、教室に通う旧ソ連圏出身と思われる生徒のレベルも同様に高かったから。そういえば、アイドルを目指す子が、夢に向かって地方からダンスのレッスンを受けに通うって、きっとこんな気持ちなんだろうなと思いながら、毎月せっせとICE(ドイツの新幹線のようなもの)のチケットの購入ボタンを押していた。 その日も、いつものようにライプチヒで午前中にレッスンを終え、友達に会ってから20時半にライプチヒ中央駅発のICEに乗り込んだ。ドレスデン中央駅行きの列車はそれなりに混んでいて、予約していた席に着くと、乗客が次々と乗り込んでくる。しばらくすると、3歳くらいの女の子が、お母さんに連れられて乗り込んできた。窓辺の席に座っていた私と、列車の通路を歩く女の子の目が合ったので、「Hallo!」と手を振りながら声を掛けた。女の子は、一瞬ニコッとしたけれど、照れていたのか何も言わない。まだ、人見知りなのかな。あるいは、やっぱりマスク姿で声を掛けられるとビックリしちゃうのかな、そう思いながら窓の外をぼんやりと見ていた。 そして30分くらい経ち、私が一日歩き回って疲れた体でウトウトし、その女の子の存在をほぼ忘れかけた時だった。彼女が突如一人で私のところにやってきて、話しかけてきた。小さな手には、手作りのお人形をいくつか持っている。「Weisst du? Das ist Otto und er ist jetzt 6 Jahre alt. 」(あのね、この子はオットーで、今6歳なの・・・・)と、自分の名前を名乗る前に、自己紹介ならぬ他己紹介(それも、人ではない。いや人形だから、ちょっと近い?)を始めた。この時点で私は彼女と初対面だったのに、第一声が「あのね・・・」という親しみを込めた表現だったので、思わず笑顔になってしまった。同時に、過去にこの女の子と会ったことってあったっけ?と記憶を探ってみたけれど、何をどう考えても面識はなかった。 ドイツも、日本以上に外国人の比率が高い社会ではあるけれど、3歳の女の子が突如お母さんから離れていかにも「異国から来た」見知らぬ外国人に真っ直ぐ向かう子が多いかと言えば、そうではない。私はその時列車の中で眠りにつく直前だったこともあり、「見知らぬ女の子が近づいて来た」という事実を認識するのに時間がかかった。本当に、自分が夢の中にいるのかと思ってしまった。 お母さんは?と聞くと、小さな手で進行方向の反対側を指しながら、「あっち」と答える。確かにお母さんらしき人は、同じ車両にいるはずなので、私も安心して彼女に耳を傾け始めた。 この子は、イーダで、6歳なの。この子は・・・・この子は・・・・ ICE内で突如開始した彼女のお人形プレゼンテーション。それぞれの人形に、名前と歳が設定され、洋服も、青、赤、緑、と多様な色とデザインで作られている。女の子が語ると、くりくりとした大きな目が輝き、彼女の目の前にはお人形が生きている世界が実在しているよう。 ふとよく見ると、彼女が手に持っていた人形には、肌が白い子も、黒い子もいることに気が付いた。日本では、ほぼ「肌色」でしか遊んでなかった私にとっては、実に新鮮だった。彼女が「様々な人と遊べるように」と願って、様々な色を選んだのだろうか。その想いも含め、お母さんがたくさんの人形を愛情込めて手縫いしたことが分かる、そんな人形だった。ちなみに白い女の子の人形(2体目)の名前はイーダで、何か聞いたことがある名前だと思ったら思い出した。ケストナーの伝記に出てきた、実母の名前がイーダだったこと。ドイツも含め、欧州の名前は基本的に、日本ほどの名前における時代の変化はあまりない印象を受ける。確かに、今の日本で3歳の女の子が持っている人形が「お菊」だったら、確かに驚いてしまう。むしろ「オキク」という「奇跡的に日本語と語感が似ている」外国語だと判断する可能性すらある。 お人形たちの年齢もバラバラだったけど、最年長は6歳だった、彼女の世界では6歳は、大人に近いのかもしれない。地球のどこかの部族で、5とか6以上は「いっぱい」と表現する部族もあると聞いたことがあって。そうか、彼女はこう世界を認識してるのか・・・。 さて、突如彗星のごとく現れた、お人形のプレゼンテーションをする3歳のドイツ人の女の子。理由は分からないけれど、突如私の席に遊びに来てくれた?のだから、せっかくだから楽しい時間を過ごしたい。そう思った私は、プレゼンテーションに反応しつつ、私は質問をし始めた。この辺りで、周りの乗客の何人かが、私たちの会話を聞いて微笑ましい表情でちらちら見始めたのが分かる。確かに、静まり返った電車で聞こえるのは、この3歳の女の子のお人形に関する情報だったので、明らかに異彩を放っていた。 「このお人形の洋服は可愛いね。」「ママが作ったの!」 (その日は私が赤いレギンスを履いていて、女の子も赤いシャツを着ていた。)「私と同じ、赤い色だね!赤が好きなの?」 そして、少しずつ女の子が自分のことを話してくれた。お人形は、お母さんが全て手作りしてくれたこと(すごい)人形の洋服もお母さんが作ったこと(これも私の人生には無いプランだ)自分はバレリーナになりたいこと(むしろ一緒に踊る?)誕生日にバレエの衣装であるチュチュをもらうこと(もはや喜ぶ瞬間を見たい) 案の定、3歳の子が喜ぶようなおもちゃを持ち合わせていなかった私は、取り急ぎ自分のバックを見渡したものの、中に入っているものは携帯、財布、バレエ関連用品(しかも、当日汗が染みこんでる練習着など)と、会話が盛り上がるものが無かったけれど、一つ見つけたのだった。会社の先輩からオランダ土産にもらった、ミッフィーの木靴のキーホルダーを!そのオランダ土産の木靴が、女の子が持っていたお人形の足のサイズにピッタリ、という奇跡が起きたのだった。キーホルダーをお人形にくっつけると、確かにお人形が「自然に」履いているみたいに見える。女の子が「ピッタリ!」と目で反応をした。 そんな彼女は、プレゼンテーションをする喜びに目覚めたのか、残りの人形と動物のおもちゃを持っていると思われるお母さんがいる席に行き、10分に一回くらいの頻度で新しいものを取りに行き、ひたすらお人形紹介を続行していた。ドイツでは乗馬が盛んで、日本以上に人気の習い事である国。途中で馬のおもちゃを持ってきて、私は「あ、ドイツっぽい」と思いつつ、「この子はメスなんだけど、名前が無いの。名前、付けて良いよ」と人生で初めて3歳の子に列車内で名づけの権利をもらったので、「うーん、じゃあコンスタンツェ(思いついたドイツ語の女性の名前)にする」と提案をした。「この子はオスなんだけど、この子も名前が無いの。名前付けて良いよ」とまた言われ、「じゃあ、シュテフェン(思いついたドイツ語の男性の名前)」とまた提案をした。しばらくすると、お母さんらしき方が近くに来て、女の子が私と話していることを確認して戻っていった。列車の中で声を出しているのは女の子だけだったので、キャッキャッと楽しそうな声で生存確認は出来てるけど、実際に誰と話してるかだけ確認している様子だった。 ICE内ではお手洗いに行くために通路を通る人がいる。女の子のプレゼンテーション場所は列車通路で、私は通路側の席に座っていた。他のお客さんが通路を通る度に、(彼女から私に接近してきたとはいえ)最初は人様の子であまりスキンシップをしてはいけないと思い、彼女の柔らかくて、ぽんぽこりんなお腹を手のひらで優しく押して、さりげなく向こう側の座席に彼女の身体をどけて他の乗客が通れるようにしてあげていた。だけど、時間が経つにつれ心の距離が急速に(!)縮まり、気が付けばハグをして私の方に彼女を引き寄せ、通れるようにしてあげる私がいた。彼女もあまりにも自然にハグされているので、こちらも驚いてしまった。そういえば、私達の知り合い歴はまだ30分だ。一体、彼女にとって私はどんな風に見えてるんだろう。  彼女とおしゃべりをし始め、30分くらいが過ぎたころ、ドレスデン中央駅手前の駅に到着する、というアナウンスが流れた。女の子のお母さんが Vielen Dank für Ihre Geduld.(辛抱強くいてくれてありがとう、というニュアンス。)と御礼の言葉を私に伝える。まず最初に出てきた言葉が、遊んでくれて、とかではなく忍耐という単語だったことに思わず笑ってしまった。 「この女性に、さようなら、って言った?」とお母さんが女の子に聞いても、女の子は私に「あのね・・・この子はね・・・」とお人形のプレゼンテーションを続行する。愛おしいほどに、嚙み合っていないドイツ語の会話。お母さんが「さようなら、って言うんだよ」と何度も教え、ついに女の子が(意味が分かってなさそうだったけど)さようなら、と発音したところで丁度列車が駅に到着し、親子は降りて行った。 確か茶色の髪に、茶色の眼だった彼女。その色の組み合わせの子供はドイツで数え切れないほどいるので、もしも道端で会っても気づく可能性の方が少ない。そして、彼女はもう私の事を覚えていないだろうし、きっと私たちが再会することは2度と無いはず。だけど、突如舞い降りてきた、ささやかな幸福が詰まった列車での時間を今でもふと思い出す。 人間になりかけている、今にも宇宙と交信してそうな不思議な子ども。3歳までは神の子、とはよく言ったものだと思う。いや、もしかしたら本当に神様の子どもだったのかもしれない。