旅
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おもちゃの町ザイフェン / Seiffen
ドレスデン中央駅から、電車とバスを乗り継いで2時間。しんしんと雪が降る-8度の中、どうしてもクリスマスの雰囲気を一度体験したくて、手工芸品の村、ザイフェンに行ってきました。 まず訪れたのは、18世紀の民家を開放している野外博物館。一歩足を踏み入れて、当時の暮らしの感想よりも、何よりも思ったのは、「寒い」ということ。石油ストーブも暖房も無く(湯たんぽは歴史的に、途中から登場?)、この「抗えない」ほどの、厳しい自然環境が当たり前で、暗くて、肉体労働無しには日常生活が成立しなくて、洗濯も少ない回数(基本的に服は4~6週間に1回だったとか)のみ。だけど、この家に昔、お茶で一息つく娘がいて・・・と想像してみる。 まだお昼の11時なのに、世界が静かに眠っているかのような感覚。雪化粧って美しい日本語があるけど、逆に美しい表現を一つでも持ってないと、本当にやってられなくて作られた表現なのかも、とふと思った。(私のひいおばあちゃんは豪雪地帯の新潟出身で、昔は1階を覆うくらい雪が積もり、2階から出入りしてたこともあった、と話していたのをふと思い出した。文字通り、毎日誰もが生きるだけで精一杯。) だからこそ、ザイフェンのおもちゃの光は現代っ子の私たち以上に、光り輝く、心に灯る存在だったはず。人口2000人のザイフェンには、おもちゃ屋さんがいくつもあって、それぞれ店によってデザインが異なるおもちゃが販売されていた。肌感覚だけど、やや現代的なデザインのお店が今は特に人気な印象。優しい色使いのおもちゃで、気持ちが満たされていくのが分かる。 くるみ割り人形は、バレエファンとしては非常に重要なアイテムなので、店内に陳列されているのを見るだけでも心が躍って、気が付けばチャイコフスキーの「くるみ割り人形」のオープニング曲で頭がいっぱいに。 おもちゃ博物館では、多種多様なおもちゃが展示されていた。一番多かった展示は、小さい空間に一つの世界がすっぽりと収まっているドールハウス。日本でも「和風」のドールハウスなるものを見たことがあるけど、やっぱり「美しい和風」な家が圧倒的に多くて。可愛らしいヨーロッパ式の家だけでなく、炭鉱現場という、働く世界をありのままに見せるおもちゃがあって驚いた。ドイツのリアリティを忘れないところも、ちょっとお国柄を感じる。 本当に、見ているだけでわくわくして、同時に懐かしさで胸がいっぱいになった。それは、小さい頃、シルバニアファミリーが大好きで、その家のカーテンを用意したり、家具の配置を変えたり、といった創意工夫が楽しくて仕方なかった記憶を思い出すから。もう実家にもシルバニアファミリーは無いけど、その当時のワクワク感が、生きる上でのエネルギーの一部になっているような気はする。有難いことに、私は今色々な「生きがい」レベルの趣味を持っていけれど、それは、小さい頃におもちゃに心ときめかせて遊んだ記憶が土台を作っていたからなのかもしれない。
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長崎旅2025 ③
「五島列島、海がすっごく綺麗だよ」 ふとした瞬間に、昔友達が言ったことを思い出すことがある。一時帰国の旅程を練っている時、頭に思い浮かんだのは、大学の友人の言葉だった。そうだ、五島列島に行こう。ただ離島の美しい海を娘に見せたい。というわけで、長崎港からフェリーで90分の新上五島町を旅行先に決めた。 結論から言うと、最高に過酷な旅行となった。まず第一希望である、港からの送迎バスを提供しているホテルの予約ができなかった。今思えば、その時点で過酷な運命は決まっていたのかもしれない。そのため地元のバスを使って移動し、娘とスーツケースを抱えて宿にたどり着いた。滝のように汗をかいた私達が気が付いたことは、宿に洗濯機が無いということ。その前にいた長崎市内のホテルも置いてなかったので、洗濯物はそれなりに溜まっていた。どう考えても、洗濯をしないと回らない。ということで、日傘を差してコインランドリーまで行くことに。そこがなんと宿から徒歩20分。そして、洗濯物を抱えて戻ると、乾かす場所が無いことに気が付いた。仕方なく、部屋の内側でなんとかハンガーを広げて干す。外はこんなにも太陽が照り付けているのに、部屋の中では思うように乾かない・・・!この猛暑の中、洗濯物を満足に干すということもできないという事実に、私は発狂しそうだった。皆さん、夏の日本旅行は洗濯できる場所かどうかをまず最初に確認しましょう。 一方で、私達は幸運だった。宿から歩いて5分の場所にある、蛤浜(はまぐりはま)海水浴場は、透明度が高く、心身ともに浄化されていく。ただ体を浮かせる、それだけで夢みたいに気持ちが良い(洗濯の疲れもここで取る!)。海も綺麗だけど、遠くに山が見えるのが、また良い。娘は生まれて初めての浜辺デビュー。波が怖くて海の中では泣き始めてしまったけれど、浅瀬でぴちゃぴちゃと遊んだり、砂を触って楽しんでいた。3泊4日の滞在で、3回も海に行くことができた贅沢。訪れたのが9月だったこともあり、ほぼ人はいなく、プライベートビーチのように楽しめたことも嬉しかった。もちろん、この海水浴場だけが美しいのではなく、新上五島では川辺を歩いていると、魚が跳ねる音が聞こえたり、ふと目をやるとカニがいたりする。それくらい綺麗な海が「基本」の場所なのだ。長崎市に住んでいたら、もうさくっと毎週のように通ってしまいそう。 3泊4日の滞在中で、2回ずつ訪れたのが、イタリアンレストランとキャンプ村の食堂だった。イタリアンレストランは、たまたま歩いて見つけて訪ねてみたら、なんと島のカツオや蠣をつかったメニューがあり、さらには調味料もこだわり、とんでもなく美味しい所だと分かった。一口食べ始めて感動し、食事を終える頃に、翌日の予約を入れていたのがこのレストラン。特にぶどうジュースが、皮そのものが入って、味もつぶつぶの食感も最高でした。限られた時間の中で、同じ店に行きたいと思えることは、旅行中のささやかな幸せです。 キャンプ村の食堂は、朝ごはんでお世話になった。旅先で、朝から白米と納豆を食べられるって心身ともに安心する。娘は、サンダルで店内を元気に動き回り、スタッフさん達にとっても可愛がってもらい、言われた言葉は「ここに住んじゃいなよ!」。そして、そこで紹介された(正確に言うと手書きのメモを頂いた)のが、新上五島の美味しいうどん屋さんと居酒屋さん。旅先で教えてもらった場所で食事をする、というのも私が好きな旅行の形だ。 旅行する人の数だけ、旅行の楽しみ方はある。私のパートナーは、旅行中はお土産やさんでTシャツとマグカップを必ず手に取っている。後日自宅で並べて、少しずつ使って行くのが好きなのだとか。楽しかったな、という思い出と共に日常を送るって、確かに楽しい。ちなみに、2年前に沖縄を訪れた時にパートナーと自分用に購入したオーガニックコットンのTシャツは、ドイツで何人かにお褒めの言葉をもらった。そのシャツ、かっこいいね、って。しかも「Okinawa Japan」と書かれているから、日本で買ったの?とも良く聞かれた。だから日本の観光業界も、お洒落なTシャツを生産すればいいのになって思う。そうしたら、観光客が着て世界中で広報してくれるから。(パートナーは、職場で社長に「日本のTシャツかっこいいね。I💛NYみたいな、よくあるデザインじゃないのも良い」と言われたらしい。笑) 今、目の前でパートナーが来ているTシャツは五島列島のもの。話しかける度に、あの美味しかったぶどうジュースも、汗だくになって運んだ洗濯物も、その疲れを海で癒したことも思い出す。
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長崎旅2025 ②
あれ?今どこにいるんだろう、と思いながら目をこする。旅行中、目が覚めて一瞬自分がどこにいるか分からなる感覚が好き。昔、そう誰かが言ってたのを思い出した。 そうだった。今、私達は長崎市のホテルにいる。日の出が東京よりも遅くて、確かに南にいるんだと実感。横で寝ている娘は、長崎に到着してから特によく寝ていた。ドイツから日本までも長旅だったけど、東京から長崎もまた長かった。私たち大人にとっても旅は興奮する。だから、赤ちゃんにとっては尚更だ。その変わり続ける風景を不思議そうに見ていた娘の眼には、一体どんな風に映っていたんだろう。 長崎市では、大学生の時に知り合ったKちゃんと待ち合わせをした。お互い社会人生活が始まって数年経ち、会社の話をするようになったのが最後に会った7年前。それだけでも感慨深かったけれど、出島ワーフで再会した私は母親に、Kちゃんは一か月後に出産を控える妊婦になっていた。住む場所も変わり、ライフステージも変わっていっても、10代、20代、30代と再会出来るということが何よりも嬉しかった。初めてKちゃんから長崎出身と聞いた時に「行ってみたい」と思ったけど、未来の娘と一緒に会う事が叶うだなんて、過去の自分が聞いたら喜ぶはずだろうなあ・・・! 食事が終わり、一緒に訪れたのは出島。観光パンフレットで読んで以来、いつか一度来てみたいと思っていた場所だった。日本史では長崎は貿易の場所として習うけど、「砂糖を保管する一番蔵」「銅を計量する組頭(くみがしら)」という建物の説明を聞いて、当時の貿易の解像度がぐっと上がっていった。そして出島内にある旧長崎内外クラブというカフェでミルクセーキを注文した私達。当時の外国人と日本人が交流を深めた歴史的な建物で、また長崎のローカルフードを味わう。それはそれは贅沢な時間だった(一度は完全に姿を消した出島を、復元してくれてありがとうございます、という気分)。 生まれて初めて訪れた長崎は、県全体が穏やかな空気に包まれているような場所だった。聞こえてくる方言も、どこか標準語よりも優しくて暖かい。ちなみにKちゃんは、私と話す時は標準語で、旦那さんとは方言で話している(そして方言だけで話すKちゃんを初めて見た)。長崎の方言、と一口に言っても、Kちゃんは島原市出身で、長崎市で育った旦那さんはKちゃんの父と会話する時に分からない言葉があるとか。ということは、長崎本当の中部も北部も、離島もまた方言の世界が広がってるんだろう。対馬なんて大きいから、方言も複数あるのかもしれない。ちなみに出島ワーフのレストランでKちゃんの上記の話をパートナーにしたら、僕も方言で育ったなあ、と言ってて、え?私だけ標準語?と気が付き、地元の人しか分からない方言が話せる人がちょっと羨ましくなった。 長崎に来る前、NEXTWEEKENDというメディアで観光名所を調べていた。その時に見つけた「わざわざカメラを持って出かけたい」という言葉を、現地についてすぐに思い出した。この事だったんだ。地理的に坂が多く、ちょっと上ると「山や海(正確には湾)も必然的に視界に入る。だから、常に「絵になる」風景やカメラに収めたくなる瞬間に溢れてる。 私達が訪れたのは9月の上旬だった。酷暑のピークは過ぎたけど、「歩くだけで、体力が奪われる」暑さで、旅行中はずっとショートパンツを履き、タンクトップを着ていた(ふと見たら自分がルフィみたいという衝撃)。一歳の子どもを連れたレストランの食事も、その後の出島訪問も、間違いなく「肉体労働」で、食事中に娘がぐずった時は、もうすぐ親になるKちゃんと旦那さんに「お二方の近未来です」と思わず伝えてしまった。原爆ドームや、他の場所も行きたかったけれど、12キロの娘を抱えての移動はなかなか大変だったから、未来の旅程に入れようと決めている。 それでも、地理的にも心理的にも少し遠い場所だった九州が、この旅で「近い場所」になった。また会いたいと思ってる友人に会えた。それが、今回の旅の素晴らしい収穫だった。日本で一番島が多い県、長崎。伊能忠敬先生も、さぞかし計量時は情報まとめに苦労したことでしょう。次は、日本に来たいと思ってくれている義妹の家族と長崎を再訪して、ゆっくり時間を過ごしたい。その時も、飛行機の窓から長崎が見えたら感動してしまうのだろう。海の綺麗さに、そして小学生の時に社会科の便覧で見て驚いた、あの島の数々が目の前に広がっていることに。 おまけ◆長崎市では、ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルにお世話になりました。途中、あまりにも暑くて近所の八百屋で梨を購入した時、果物ナイフが無いことに気が付きフロントで相談。すぐに、綺麗にカットして部屋まで持ってきてくれました。その心遣いがとっても嬉しかったので記録。また、朝ごはんに長崎のメニューが多く、地元の食材やレシピを楽しめました。
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長崎旅2025 ①
「日本出身なんだって?僕はポルトガル出身だから、次に日本に行く時は長崎に行ってみたいんだ。ポルトガルとゆかりがある場所って聞いたからね。」 2023年の秋、私は初めてパートナーの妹に会った。その時一緒に挨拶したのが、ポルトガル出身の彼女の旦那さん。ポルトガルで生まれて10歳からドイツに住んでいる彼は、コロナ前に一度日本を旅行したがあるそうだ。そして、パートナーの妹家族に挨拶ということで、ドキドキしながら向かったカフェで、まさか「ナガサキ」という音を聞くとは。人生、どこにどんな出会いがあるか分からない。 その日の帰り道、思い出したのが大学で知り合ったKちゃんだった。私が人生で初めて出会った長崎出身の人だ。彼女とはドイツに来る前に東京で会ったのが最後で、この数年は連絡が途絶えていた。今、どこで何をしてるんだろう。だけど時代はSNS全盛期。そう思った半年後、そのKちゃんがなんと私のインスタグラムをフォローしていることが判明し、数年ぶりに連絡を取ることができた。Kちゃんは大学卒業後は東京で働いて、また長崎に戻っていた。 その後、私とパートナーは少しずつ日本の一時帰国の旅程を組み始めた。情報収集をする中、久しぶりにKちゃんに会いたい、海水浴をしたい、離島に行きたい、知らない文化に触れてみたい – 長崎に行きたい理由が次々に出てきた。ということで、パートナーと私と娘の今年の旅行は、長崎から始めることに決めた。 待ちに待った出発日。飛行機の窓から見える長崎の海は、とんでもなく綺麗だった。透明度が高くて、私たちの飛行機が海面に映っている。到着すると、南国特有の(まあ東京も今は南国みたいだけど)空気が肌で感じられた。長崎空港からまずはバスに乗り、次に路面電車を使ってホテルまで移動する。路面電車は、長崎では「電停」と言うことを知ったのはこの日だった。 教会や西洋風の建物、中華街、そしてレトロな建物。長崎と言えば、日本史で習う「文化の入り口」、色々な文化が混じり合う場所。そして地理的に坂が多い県。市内を歩いていると、今まで聞いていたキーワードを、歩きながら実感した。まるで、頭の中だけに存在していた知識が突然目の前に現れたかのようだった。 耳をすませると、方言が聞こえてきた。電停の停留所の近くでは、長崎県警の「渡らんで 危なかよ」との文字。長崎の方言は、何だか暖かくて柔らかい感じがする。そういえば、大学生の時に一度Kちゃんに方言を教えてもらった時に、何だか愛らしいなあと思ったことも思い出した。(無いよ、が「なかとよ」になるらしい。) 今回、せっかく長崎に来るなら、ということでKちゃんのに教えてもらったレストランは、吉宗(よっそう)。彼女の旦那様の名前で予約したので、私達は生まれて初めて発音する苗字をスタッフに伝えて入店した。パートナーに、日本っぽいものを味わってもらいたいと思って来たけれど、ここを選んでよかった。外装だけじゃなくて、階段、お座敷、窓も、食事が運ばれてくる前から、店の雰囲気も味わえる。もちろん、注文した茶碗蒸しセットもバッテラも大変美味しくいただきました。150年もの伝統があることも素晴らしい。だけど、地元のお客さんもたくさん入る、愛されているお店であることが印象的だった。オンラインで注文できる時代だけど、きっとこの場所で食べるのが一番美味しい。 グラバー園は、素敵な場所だった。西洋風と和風の建物も、敷地も、ただ歩いているだけで楽しい。ここで当時暮らした人はどんな思いで長崎にいたのかな、と思いを馳せてみる。ちなみに、訪問した時はちょうど近くの芸術大学の展示があって、園では色とりどりのアートが花を咲かせていた。 近くに山と海があるのが当たり前の長崎。グラバー園は丘の上に建てられているから、山も海も見渡せる。そして、その敷地では特に良い空気が循環しているようだった。「氣が良い場所」って、きっとこういう場所のことを指す。見晴らしが良い、と言えばそれまでだけど、風水は全く分からない私が初めてそう感じたのがこの場所だった。



