読書
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シモネッタのデカメロン ― イタリア人の驚くべき恋愛力!②
イタリア人は自分の国を愛している。だけどそれは一つの共和国としてではなく、自分たちの生まれた故郷や地方を意味する郷土愛を意味することが多い。そもそもフィレンツェ、とかベネチアとか一つ一つの町や州に歴史と文化があり、国として統一した歴史は意外と浅い、というようなことが本に書いてあった点については、彼女も同意していて、イタリアは国としてアメリカ合衆国みたいに形成されている、と言っていた。さらに、「だから第一次世界大戦の時に、方言がお互い強すぎて、兵士の意思疎通が難しかった」と聞かされてビックリ!さすがに言い過ぎでは?思ったけど、今でも各地の方言が色濃く残ってるイタリア。エッセイ中でも「〇〇地方の方言」という単語が頻繁に出てくるし、イタリア在住の別の日本人のブログでは、「イタリアでは若い人も積極的に方言を使いたがる」と書かれていて驚いたこともあったっけ。その事実を踏まえると、納得。(逆に、東西で国内の時差10時間という、地理的に一番方言がありそうなロシアは方言は意外にも少ないらしい。) ちなみに、イタリア人にとってイタリア政府は、いくらでも騙しても良いような存在だと認識されているとも本に書かれていて、本当か聞いてみたら、「うん」と即答して驚いた。そして「尊敬も無い」。 他にもエッセイでは、イタリア人の社長(分野問わず)は1時間程度のスピーチだったら原稿見ずに出来る人が多いという箇所が特に印象に残っていた。確かにスピーチ上手いだろうな、と思わせるような話し上手な人はたくさん本に出てくるし、そういえば、テルマエ・ロマエを執筆したヤマザキマリさんの漫画でも、イタリアでは口頭試験が学校であると書いてあった。彼女に聞いてみたら、確かに歴史の試験は口頭と論述式の両方があったとのこと。だから、スピーチ慣れしてるのか、と言ったら「逆に、日本の社長は原稿なしで(1時間程度の)スピーチできないの?」と聞かれてうろたえてしまった。できる人はいるだろうと思う。いるとは思うけど、1時間もメモ無しに話せる人は多くはないと思う。多くないからこそ、「通常レベル」ではないからこそ、田丸さんもこのエッセイにそう記したはず。あ、でも歌舞伎町のローランドは問題無くできそう・・・。 「イタリアは本当に文化と自然が豊かだなあ」とは、ページをめくる度に思ってたけど、彼女に言わせると 「逆に、イタリア人はこの海も山もある豊かな自然と世界遺産が当たり前の存在になってる」らしく、イタリア語も話せないのに納得した。やっぱり現地の人にインタビューするって面白い。ちなみに、この本のタイトルの「デカメロン」も、イタリアでは古文のような立ち位置で学校で扱うのだとか。田丸さんの本はまだたくさんあって、聞いてみたいイタリアの話がたくさんある。次会うのも、今からとても楽しみ。だから「予習」も同じくらい楽しみ。 もう一つ、この日は彼女がイタリア語の歌の発音を教えてくれた。中学生の頃から大好きなドイツ映画「点子ちゃんとアントン」には、監督の好みなのか、何回かイタリア語の歌がBGMとして出てくる。どうしても歌詞が知りたくてずっとネットで調べてたけど、この情報化時代(!)にも関わらず全くヒットせず、歌手らしき人も、イタリア語の苗字も名前もごく一般的なのか、Linkedinでイタリア人エンジニアと思われる人が出てきただけで終わった(今思えば、彼らの誰かが趣味で歌っていた可能性もある)。実は、昨年初めて知り合った日に、YouTubeのリンクを送ったところ、イタリア語の歌を文字起こし+英訳をしてくれたのが彼女。 10年以上も好きな歌の意味がようやく分かった私は、少しでも真似っこしたくて、サビの部分だけ発音を教えてもらった。彼女が用意してくれたイタリア人語の歌詞を見よう見まねで、今も家で元気に練習中してる。 Voglio ballare, esser felice insieme a te. Voglio gridare l’amor che io sento per te! Voglio viaggiare, girare il mondo insieme a te. Fammi sognare, la vita è bella per com’è!
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シモネッタのデカメロン ― イタリア人の驚くべき恋愛力!①
2023年に一時帰国した時、過緊張で眠れない時があった。情報量の多い診療や薬のことを考え始めたら、体の疲れとは裏腹に目が覚めてしまって、気が付けば時間がどんどん過ぎていく。そんな時に読んだのが、このイタリア語通訳の田丸公美子さんのエッセイ本。あまりの面白さに、心身ともに一気に力が抜けて、大笑いしながら眠りについた。ちなみに家族に紹介したものの、「電車の中で読むのが恥ずかしい」と言われて、「勇気を出して良いのよ!」と鼓舞?したのは、その中の「シモネッタのデカメロン ―イタリア人の驚くべき恋愛力!」という(帯)の本でした。 今の時代、海外をテーマにしたブログや本はたくさん世に出ている。ちょっと作文が上手い人だったら、海外に行かなくても「海外に行った風」のそれらしい文章も、ちょっと調べたら書けるくらいの情報化社会だ。だけど、この田丸さんの本では彼女が実際にやり取りをした出身も職業もバラバラなイタリア人の会話(それも1分や2分ではない!)がしっかりと、映画の脚本並みにしっかりと記されているから、とにかく飽きない。こんな表現を使うんだ、こんな風に会話が進むんだ、と思いつつ、目を閉じればイタリアの風景が広がっていく。 一口に「国」とか「文化」と言っても、人の数だけその国の見方は生まれる。以前、とあるドイツ在住の料理家が、「ドイツ人は料理をしない。その時間が無駄だと考えているようだ」と投稿していた。だけど一方で、とある写真家は、「夢を叶えるためにはクリエイティブであるべき、だから(外食とかお惣菜も良いけど)自分の手でもっと料理しよう」と本に書いていた。前者は「日本人だったら料理する」ということが前提になってるし、後者は「日本には、いくらでも食事を買うという選択肢はあるけど」という事実が根底にある。二人とも東京で生まれ育ってるのに視点が違って面白いなと思ってたし、私自身は、日本は食文化のレベルが素晴らしく高いけど、同時に世界で最も「便利」な国だから、料理を一切しなくても充実した食事を楽しめる国で、だから料理をする人としない人の差が開いてそうだと認識していた。そもそも労働時間長いし。 それでも、その土地に育つことで共通として身に付く知識、常識、感覚が存在するのも事実だと思う。だから、昨年イタリア出身のCと知り合った時、次会う時はこの田丸さんの本について聞いてみたいと密かに願っていた。本を読むうちに、実際にイタリアの生活・考え方について、実際にインタビューしたくなったから。イタリアで生まれ育った人の生の声を聞いてみたくなったから。 ということで、ドイツの韓国料理レストランで彼女とその日待ち合わせた。トッポッキとチャプチェとキムチチャーハンをほおばりつつ、早速田丸さんの本を見せながら、田丸さんを「他己紹介」し始める。自分の母国について語られた本があるってやっぱり嬉しいもので、日本(正確に言うと、韓国と中国も含めた東アジア)に興味を持っている彼女は、本を手にしながら「日本の本はやっぱり丁寧に細部まで作られてるね」と言いながら興味深そうに眺めて、記念写真を撮る。色とりどりの付箋は、私が質問したい箇所だ。 早速、質問開始。ジェノバの人はケチで、ナポリの人は情熱的な人が多いといった一般的なイメージがイタリア国内にあると書いてあるんだけど、本当? Cによると「ある。間違いなくある。」とのこと。彼女はナポリ近くの町出身で、彼の家族はお客さんが来るとお客さんの人数の倍の料理を作って待ってるとか・・・。そのくらいおもてなしの精神がある。これは私なりの肌感覚だけど、そういった精神はドイツにあまり無くて、でもイタリア内部でも北部は少し違った空気感らしい。なお、ナポリは物凄くエネルギッシュな場所で、「来たら、大好きになるか大嫌いになるかの2択だよ」とも。この瞬間に、私は今後イタリアへ行く時は絶対ナポリに行こうと決意した。
