ソウルノートと日々の思考回路 ①
心身ともに健やかに毎日を過ごすための方法、プラントベース*の料理レシピの公開、環境に配慮した暮らしのアイディアの共有・・・SNSやイベントを通じて、日常生活を送るヒントや人生を考えるマインドの提言を行う、ライフスタイルクリエイターの未来リナさん。
2026年12月、初のソウルノート『MAGIC IN PROGRESS』 を自費出版されました。これまで書くことが、人生にどのように影響を与えて来たのか、そして日々の思考回路をどのように作っているかを伺いました。
未来リナさん:1999年東京生まれ。3歳からモデルを開始し、6歳より芸能事務所に所属。現在はライフスタイルクリエイターとして、活動中。
https://www.instagram.com/lina3336
https://www.youtube.com/@linamirai2989
*プラントベースとは、主成分として大豆や野菜などの植物由来の原材料を積極的に取り入れる食事や代替食品のこと

ソウルノートは、自分の魂と対話するための手段
昨年出版したソウルノートは、一言でいうと「ジャーナリングノート」です。「ソウル」は英語で魂という意味。自分の心を映し出す、鏡のようなノートとして、名づけました。
書くことで、頭の中が整理されると言われますよね。普段は、インスピレーションが浮かんだ時、書き留めておきたいミラクルや願い事、また未来にやってみたいワクワクすることをノートに書き出すようにしています。また、自分の心の声とゆっくり対話したい時、何かに迷っている時も、引っかかっていることを時間をかけて掘り下げて書いていきます。その意味で、ソウルノートは自分の内面とゆっくり向き合う場所でもあります。

きっかけは、13歳くらいの頃から、いつも何かしらの言葉が降りてくるようになったことでした。まずは授業中のノートの端にその言葉を書き留めて、それをまとめるためのノートを初めて購入。そして、降りてきた言葉や詩を鉛筆で書き留めて、時々その詩と調和するようなイラストを描いたりしていました。昔から歌を聴くことが好きでしたが、好きな曲も、全部歌詞が好きだったので、自分も作る側になりたいと無意識に思っていたのかもしれません。学校の帰り道に湧き出た、ふとした時の感情や、短い詩も日本語と英語で書くようになりました。これが、自分の心を映し出すソウルノート*の原点ですね。
時間が経つにつれ、ソウルノートの書き方も少しずつ変わり、カウンセラーのように掘り下げる形に変化していきました。それまで書いた詩には、13~14歳ながらに日々を生きている中で感じたこと、学んだこと、疑問に思うことなどが反映されていました。その’’詩’’が’’自分の心’’と対話し始めたのだと思います。
※ソウルノート(SOULNOTE)とは、神奈川県相模原市に拠点を置く日本のハイエンド・オーディオブランドではありません。

摂食障害やうつ病に苦しんでいた時、ソウルノートとビーガンに救われたこと
3歳からキッズモデルを始め、6歳から芸能事務所に所属。毎日放課後にレッスンがあり、学校も常に後回しする生活を送ってました。14歳の時に芸能界のグループを脱退し、生まれて初めて、放課後にレッスンのない生活に。同時期に、両親の離婚が決まりました。
それまで芸能界は、一人の体を見本にして、同じようになることが求められた場所でした。私たちは、人の数だけ骨格や体格があるはずなのに、「ありのまま」が許されなかった。
ストレスの反動や様々な要因が同時に重なった結果、 16〜17歳の頃に摂食障害(オルトレキシア)とうつ病が始まりました。
※オルトレキシア : 健康的な食事に過剰にこだわり、体に良いと信じる食品しか食べられなくなる新型の摂食障害のこと。リナさん自身は嘔吐はしなかったものの、毎日何をどのくらい食べるかといったマイルールを、当時数えきれないほど作成していたそうです。
最初に異変に気が付いたのは同居していた母で、その後私の摂食障害に気が付いてくれたのは姉のマリアでした。特に姉は命の恩人、かつカウンセラーのような存在で、私の内面を見つめる手伝いをしてくれました。「今のリナにとって負担に感じていることは何?」「何を変えたら、楽になるイメージが浮かぶ?」と質問をしてくれ、その質問をソウルノートに書き始めました。私も自分の心の声に耳を傾け始め、セルフセラピーのように自問自答するようになりました。
また絶対に書き出して、と指示されたのは、「死ぬまでにやりたいことリスト100個」。いざ書き始めると、10個書いたら止まってしまって。でも姉は不可能なことでもいいから、有り得ないファンタジーでも良いから書け、と諦めなかった。100という数字は「絶対」だったので、私は真面目な性格的に、絶対やらなきゃ、と思い些細な事でも書き続けました。そのうち、ゆっくりでもアイディアは出てくるようになりました。辛い時期ではあったけれど、人生の可能性は無限に広がっているんだな、制限をかけているのは自分だったんだ、人生で可能なことはたくさんあるんだな、と気が付いたのはその時でした。生きたい、と思わせてくれるワークだった。最終的に、100個書き上げるのに、1か月半くらいかかりました。毎日それを考える時間が楽しみとなり、「考える時間を取ること」もいつの間にか習慣となりました。

オルトレキシアだった当時、炭水化物や脂質をほとんど取らない生活を送っていました。メインで食べていたのは、動物性のタンパク質と植物性タンパク質だけ。とにかく色が無く、いつも目にしたのは茶色い色ばかりだった印象があります。精神的にも、お肉を食べると私は機嫌が悪くなることが多かったように感じます。とにかく、タンパク質に依存して、「食べたいから食べる」ではなく「食べなきゃ」という意識で過ごしていました。食事も常に砂みたいに感じられ、味もしなかった。
その後インスタグラムで出会ったのがビーガン料理でした。たまたま見つけたビーガン料理の写真は色とりどりで、一瞬で心を奪われました。試しに作ってみたところ、様々な植物のビタミンやミネラルを摂ることができ、私の体に不足していたエネルギーも吸収されていった感覚がありました。何より、こんなにも気持ち良く食事が摂れるんだと衝撃を受けました。気持ちもずっと楽になり、希望が見え始めたのです。
※ビーガンとは動物由来の食材(肉、魚、卵、乳製品、はちみつなど)を一切避ける食事法
インタビュー記事②は2026年9月に公開予定です。

